フェルミ-リーナ号 航海日誌02:バイオなあなた

「自分を殺しに行くの」
 ひとさし指で緑フチのメガネの端をちょいと上げて、マイカは言い放った。
 口紅だけのメイクで十分美しいフェスティバは、ややオーバーにゆるやかなウェーブの髪をなびかせて首をひねってみせた。
「……ひもならあるよ? それとも宇宙服なしで外に出てみる?」
「できればひもの方で。裸で外に出た日には、質量50kgの宇宙ゴミになってしまうからね、危なくって仕方がない……って、なんなのいったい」
「水分は蒸発するから50kgにはならん……って、『なんなの』はあたしのセリフだ、『自分を殺す』っていったいなにごと?」
「ああ、ごめん、……うらら、こないだのメール出して」
 船内コンピューター「うらら」はゆるやかな曲線を作る白壁にマイカ宛のメール文書を表示した。ちなみに、船内は壁から天井から床まで、全部ディスプレイにすることができる。
「なに? あー地球からだ。マイカは確か地球の出身なんだよね」
「だよ」
「うらやましすぎ。やっぱあそこがいちばん面白いよ。ハヤリモノ何でもあるし」
「そうかな? あるのは歴史ぐらいだ。地方のヒトはあこがれるらしいけどね」
 ていねいに読み終わり、フェスティバは視線をマイカに向けた。
「ふーん、これで地球行くんだー」
「え? なになに、今から地球行くの?」
 ぱたぱたとせわしない羽音といっしょに、はきはきしたとても高い声が頭上から響いてきた。「地球妖精族」のリノは、どうやら星のよく見える天井近くのとまり木で翼を休めていたらしい。
 リノは壁に表示されたメールに気づいて、自分で読みはじめた。
「え!? クローン? マイカのクローンが地球にいるの?」
「『いる』というより『ある』のよ。T医大に私のクローンがまだ残ってて、処分したいから連絡してくれ、ということらしい」
「どうしてどうして? クローンなんているの?」
「問い合わせてみたらね、どうもわたし自身の臓器移植用だったらしい。わたしが生まれたときに親が勝手に作ってたみたいだけど、わたしが大人になったころはもう不老化も再生医学もあったしね」
 フェスティバは壁にファッション雑誌を映してぼんやり眺めていたが、ちらりとマイカの方を見て言った。
「それ、医学の歴史読み物で読んだことあるよ。当時はそんなのが流行りだったんだよね」
「まあねえ、『クローン等禁止法』ができたときに、とっくに処分されてていいと思うんだけど、残ってたようね」
「それで『自分を殺しに行く』わけだ」
「そう、人聞き悪くて良くない?」
 にやっと笑ったマイカに、フェスティバは鼻の穴に指を突っ込むしぐさをして「ふーん」と言った。

 三人の「フェルミ−リーナ号」は優秀な宇宙船で、大気圏突入の能力がある。高次元ハイパードライブから即行で地上へ行ける、機動性の高さを追求した機体なのだ。
 それでも、宇宙ステーションでの検疫と税関通過はまぬかれない。船荷のチェックは早々に係員に任せて、三人は「常夜のテラス」でヒマをつぶしていた。ここは巨大な透明ドームの中に作られた広場で、いつもの服のまま広い宇宙の中に浮かぶ心地が楽しめる。
 三々五々、人が群れている。よく見るとほとんどカップル。
「ここは地球のデートコースにもなってるらしいね」
「用事がなければもうちょっと遊んで行けるんだけど」
「カップルかー、『夫婦』って言葉は、地球にはもうないのかもなー。とっくの昔にここでは子供を産むこと禁止になってんだよね?」
 フェスティバは組んだ足の上に肘を乗せて、ふくれっ面でほおづえをついていた。
 ひざの上に眠るリノの翼をそっと包むようになでながら、マイカはひとりごとのように答えた。
「みんな歳取らなくなったからね。今じゃ辺境に行かないと子供作れない」
「いつごろからそうなの?」
 マイカはちょっと額に手を当てて、記憶をたどった。
「私の親の世代くらいからだね、400年くらい前かな。ウチの親もすっかり若返って、今はどこにいるのやらさっぱりわかんないな」
 ひとつふうっとため息をついて、マイカは一瞬だけ遠くを見るような目をした。
「……ところでフェスティバ、イカレ頭の対策してる?」
「それも人聞き悪い言い方だなー。脳記憶スキャンならちゃんとやってるよ」
「何年おき?」
「毎年やってるよ」
 人類不老化の時代、脳すらも自動再生する。非常にゆっくりと神経細胞が増え、150年くらいで脳細胞が全部入れ代わる。このスピードなら通常記憶が失われることはない。
「毎年はマメだな。わたしもあんたたちと仕事するようになってからマメになったけどね。忘れたくないことが多いんだ」
「へっ、ちょっと嬉しいね」
 フェスティバは視線を逸らして舌を出して笑って見せた。
 今でもごくまれに脳再生の暴走がある。死に至ることは稀だが、多くの場合記憶がほとんど失われてしまう。
「昔はね、神経細胞の再生は結構事故多かった。初期の事故はすさまじいよ、小腸の再生因子が脳に作用したりして、一日半で新陳代謝する脳細胞とかね」
「超とりあたまじゃないの?」
「その通り。一日半でね、記憶も学習も全部とんじゃうの。そのヒトは確か脳幹は生きてたから助かったんじゃなかったかな」
「ひでえ話。そのころは記憶スキャンあったんだっけ?」
「なかった。だからハイハイからやりなおしたってうわさ」
「今なら事故っても記憶スキャンを転送すればいいけどねー」
「楽にいうけど、アレは専門の施設で2〜3年の入院が必要なんだよ。脳は今でもそう簡単には行かない場所なんだろうね」
「ふーん」
 フェスティバは納得したようすで小刻みに何度かうなずいていたが、ふいに動きを止め手の甲を紅の唇にあてて考え込むしぐさを見せた。
「……でも、2〜3年あれば記憶スキャンのデータと毛根細胞の1個からその人を完全に複製できるんだ」
「もっと言うなら、遺伝子の配列を記録したチップでもOKだよ」
「なんか気持ち悪いな」
「だから、『クローン等禁止法』があるんだろうね。実際自分の分身が殺人ショーで殺されたとか、ある星の重労働作業員がみんな一人のマッチョのクローンだったとか、そんな事例もあったの。マッチョは確か二千人ぐらい」
「うげ」
「やでしょ? 私も変なクローンをいつまでも残してたくはないの。さっさと地球行って自分を殺してこないと」
 微笑みかけたマイカに、フェスティバは鼻の穴を広げて口をがばっと開けて見せた。
「人聞き悪いって言ってるだろー、マイカ」

 日本地区の東京湾宙港から着陸許可をもらい、フェルミ−リーナ号はしずしずと垂直に着陸した。
 船荷らしい船荷もないので、3人は船を留めたところから地下へもぐり、縦横に走っている交通パイプラインに無造作に止まっている『カプセル』に乗り込んだ。
「T医大よろしく」
 親しい人にささやきかけるみたいに、マイカはカプセルの端末に声をかけた。
[T医大、ですね]
 カプセルの映し出す地図をマイカは慎重に確認して、指でボタンを押すことでカプセルに行くように命じた。念じたり声をかけたりしてもいいのだが、マイカはボタンを押す確実な感触が好きなのだ。
 少し長いエレベーターに乗っているような感覚で、カプセルは目的地に着いた。
 羽ばたいてリノが飛び出し、跳ねるようにフェスティバが降り、ゆっくりとマイカが続く。
「おまちしておりました」
 指定された階の受け付けまで行くと、伝統的な白衣に身を包んだ、細身細面の小柄な美少年が、ていねいにお辞儀して三人を迎えてくれた。はねて赤く染めた髪はよくいる遊び人の兄ちゃんみたいだが、胸の名札には「Prof.〜」とある。
 数世紀続く伝統大学の教授ということは、最近なにか歴史的な仕事をしたということなのだろう。
「マイカ・キタザキさまですね。再生内科のワタベと申します。わざわざお出でいただき恐縮です。たいへんご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございません」
 営業職のヒトのように礼儀正しく、深々とお辞儀をする。
「いえいえ、とんでもない……ところでクローンが残ってた事情について少しご説明いただきたいのですが」
「後ほど細かくご説明差し上げますが、クローンの登録がなされてなかったために破棄処分されなかったんです。当時のこととはいえ連絡つかずにそのまま当科で管理しておりまして、最近になって事情が判明した次第で」
「え? それはいわゆる闇クローンの扱いになるのですか?」
 マイカは少し目を見開き、戸惑いを見せた。
「いえ、冬眠状態とはいえ法律上ヒト扱いせざるを得なかったのです」
「ヒト? ちょ、ちょっと待って下さい? 登録書か何か残ってないんですか?」
「はい、当時の資料をお持ちいたします。少々お時間取るかもしれませんので、そのあいだご自分のクローンをご覧になりますか?」
「はあ……」
 マイカは生返事して、秘書の人らしい女性の案内に従うことにした。
 エレベーターで地下へ向かう。交通のために確保されている層よりさらに下の「深地下」というところに、大昔は話題の中心だったクローン保存庫がある。
 広いホールにいくつもカプセルみたいなものが横たわっている様子をマイカは想像していたのだが、違った。長い廊下の左右にナンバーが振られた自動ドアがたくさんあって、部屋の中に入ると、壁に人間一人が縦に入るサイズの引き出しが整然と並んでいるのである。
「火葬場みたいね」
「あんたもロクな事言わんな、フェスティバ」
 秘書は二人のやりとりを聞き流して淡々と説明をはじめた。
「今はこの部屋しかクローン保存庫としては機能していません。他の部分は災害にそなえての食料備蓄庫などになっております」
「肉でも冷凍してるの?」
 高くさらさらした声でリノは聞いた。ブラックジョークが伝わらなかったのか秘書は首をかしげて答えた。
「ええ、肉もあります」
 きょろきょろ辺りを眺めていたフェスティバが言った。
「ほんとだ、もうマイカの分しか使われてないよ、ここ」
 そして、マイカのクローンが入っている引き出しの把手を無造作に引っ張ろうとする。
「あ、あれ? 開かない?」
 冷静に、無言で秘書は手元の端末からパスワードを入力する。
 すーっと、ほとんど音も無く引き出しは滑りはじめた。
「あらまあ」
 液体に満たされた透明な硬質プラスティックの中で、マイカのクローンが一糸まとわぬ姿で目をゆるく閉じて横たわっている。
 無駄な肉のあまりついていない引き締まった身体。形の良い胸元とくびれた腰は艶っぽいカーブを描く。髪だけは肩あたりにそろえているマイカ本人とは違って、伸びっぱなしで水の中で揺れうごいていた。
「なるほど、今度マイカ長髪にしてみてよ。イロっぽくなるよー」
「リノ、あんましジロジロ見ないでよ。……クローンって成長するものなの? 私はてっきり赤ん坊の頃の姿で保存されてるのかと思ってた、うかつにも」
「ごくゆっくり成長もしておりますが、生命活動はほとんど休止し冬眠状態となっております」
 秘書の平坦な口調を受けるかのように、扉が開き、さっきの美少年−−教授が入ってきて、マイカはかぁっと赤くなってあわてて叫んだ。
「あ、ちょっと待ってください! すみません、とりあえず引き出し閉めてください」

「役所に当たってみたのですが、あなたの出生届が紛失されているらしく、サーバーにも記録が残っていないらしいのです」
「そうなんですか? 住民登録などは問題なくやってると思うんですが」
「日常生活に支障はないと思われます。しかし一方でクローンに対して出生届が出ておりました」
 教授はわざわざ古典的な普通の紙にプリントアウトしたものを持ってきた。
「出生日が2032/03/29。これはクローンの作成日ですね。名前はマイカ・キタザキ、住所は東京特別区葛飾」
「名前と住所はわたしと同じですよ」
「もう今となっては医学的にクローンとオリジナルの区別はつかないんです。ただ書類を見る限りでは、誠に申し上げにくいのですが、あなた様とここで管理させていただいている身体とどちらがクローンなのかわからない」
 すかさず、フェスティバがつっこんだ。
「そうか、確かにマイカってクローンぽいよ」
「クローン等禁止法違反だー」
「……リノまで何よ。そんなわけない……とも言い切れないんですか?」
 ここまで、微笑みをたやさなかった教授が、急に困ったような表情を作る。
「どうしましょう。わたくしは法律については詳しくはないのですが……」
 マイカは、瞬間、血の気が引いた。倒れそうになるのを、さりげなく白壁に手を当てて支える。
「まあ、大原則として生活してるクローンはヒトとして扱うことになるものと思います。あなたがオリジナルを主張すれば登録ミスとしてこちらをクローンとして扱わせていただきます。ただ先程の説明の通り、もうどちらがオリジナルかははっきりしないのですよ」
「はあ……」
 ほっと、マイカはためいきをついた。
「わたしの両親には連絡したんですか?」
「何回か試みましたが、どうも辺境の方らしく連絡が取れなかったようなのです。失礼いたしました」
「いえいえ、なんとか両親に連絡取って事情を聴いてみます……。すみませんお手数かけまして。400年前のことですけれども」
「こちらこそどうもすみません。それではクローンの手続きと処分はこちらの方で進めさせていただきますが、よろしいでしょうか?」
「はい……」
 マイカの返事は、いつになく力がなかった。
 悪い想像をしていた。
 ひょっとしたら自分の方がクローンで、オリジナルが今から殺されようとしているのではないか、と。
「もしそうだとしても、どうってことはない。わたしはわたし」
 自分を元気づけるときに、いつも心の中でとなえている言葉を、ぽつりと声に乗せてみた。
 フェスティバがリノと能天気に何かしゃべっている。
「でも、どうやってあれ処分するのかな?」
「冷凍だ。だって肉は冷凍してるって言ってたよー。非常の時は食料になるのかも」
 マイカは、フェスティバの肩の上のリノを手のひらではたいて、不敵に笑って元気に言った。
「そうかもね。それでもあんたよりは食べでがあるさ」

 太陽系引力圏を出てハイパードライブに入る前に、マイカは両親のプライベートアドレスにメールを送った。このアドレスなら、たぶん届くはずだ。
 珍しく、両親は離婚もせず400年一緒にいる。−−それにしても何でまた辺境に?−−マイカがそう思っていたらしばらくして両親から返信が来た。

 笑顔まるだしの写真と共に、マイカに400歳下の妹ができたことが伝えられていた。

 マイカが次に両親宛に送ったメール。

 なんと! 子供作ったんですか! とりあえずおめでとう。今度は守ってほしいことが少しあります。1)クローンを作らない 2)出生届を間違えない。400年前何やらかしたか、よーく思い出してください。

 一ヶ月くらいして、メールが返ってきた。

 あははははー、脳が新陳代謝しちゃってて思い出せないー。

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