夜の底は柔らかな幻〜第11章

Phase 11 "yoruno sokowa yawarakana maboroshi"(496/Autumn)

 森の紅葉も盛りを過ぎ、朝の水が肌を刺すようになるころ。人々があわただしく冬支度をする季節。夜空はすっかり冬の星座に置きかわり、天空の中央を、大きな満月が、堂々と照らしていた。
 今夜も、なかなか寝つけずにいたミンは、二人で眠っていたベッドから、そっと抜け出し、少しだけ窓を開けて外の空気にあたっていた。
 青白い光が、山すそへ向かう川辺の森を、くっきりと、地の果てまで照らしている。いくつもの山が、ほんのりと地平に映える。
 ミンは、じっと月を見つめた。銀色に輝き、目が眩むほどの、まったく欠けるところのない満月だ。
 月は、九日ごとに満ち欠けする。……指を折って日を数える。
「次の満月が、祭りの日ね……」
 小さなひとりごとは、風に飲まれ、消えていった。
 アキには、まだ出ていくことを話していなかった。
 祭りの準備は着々と進み、ミンが「カゾリフ」として行う儀式の練習もだいぶ煮詰まってきた。
 ここしばらく、ずっとミンは、アキと二人で、舞台で演じる出し物の動きを考えていた。祭りの当日、アキはカゾリフに従った少女、ルティアの役で、ミンといっしょに短い魔法の演舞をすることになっている。
 ──こんな時期になってまで、私は、アキに話しする勇気がもてない……──
 マイネクのはからいで、どこへ行くことになるかも、あらかた決まっていた。
 北のイナム国の、西の海岸沿い、ちょうどここからいちばん遠いところに、スマという村がある。できたばかりの村なのに、妖魔の被害が多く、結界をつくれる魔法使いを求めているらしい。
 そこに、ケーマという人がいる。マイネクは彼宛てに紹介状を書いてくれた。
 祭りが終わったら、すぐに認定式がある。そうしたら、冬が始まるまでにスマへ行かなければいけない。
 まだ、何も用意していない。いろいろと身支度もあるのに、まずアキに言わなければ、何一つ始まらない。
 窓枠に、ひじをついて、月を見上げる。
 ずっと、月のもようを見続ける。あたまがあって、胴体があって、爪の生えた腕が伸びている。古代、月に昇ったという伝説の龍のかたち……。
「……眠れないの? ねえさま……」
 ふいに、背中から高く澄んだ声がした。

「アキ……」
 白いねまきが、部屋の暗闇にかろうじておぼろに見えた。一歩ずつ歩むごとに、窓の明かりを受けて、足もとからゆっくりと姿を現す。
 表情が見えたとき、アキはもう、ミンに抱いてもらおうとしているような、そんな近くまで来ていた。
「ねえさま……あたしも何だか眠れないんだ」
 ふと、視線をそらし、身をひるがえして、ミンのかたわらに座った。すらっとした脚が月の光に照らされる。
 窓の輝きに、二つの影が映える。木の床に、二人の影が落ちる。
「月がきれいね、……風が涼しい……」
 誰に言うとでもなく、さやかな声を響かす。
 それきり、黙り込む。
 時が流れるのにまかせる。
 青白く光る、アキの横顔に、ミンは一年の間の微妙な、しかし確かな成長の跡を感じ取っていた。
 アキはしばらく、所在なげに細い指をからみあわせていたが、やがててのひらに、やまぶき色の光が宿り、全身をなめるように広がって、白い霧へと変わっていった。
 ちらりと、ミンを見上げて、顔色を確かめる。
 ミンは、目をつむって、微笑んだ。
「……魔法……アキの世界だね……」
「そうよ。……開けるのも久し振りね。……しばらく閉じてたのよ、怖くて。この世界もあたしの暗い部分が入り込んでしまったから」
「……そうなの?……」
「うん。だから、もう、行かない。……行こうとも思わない。昔みたいなあたしは、今はいらないもの」
 両手を、宙に広げ、アキはあやふやな迷いを払うように、霧を追い散らした。
 さっと立ち上がり、踊るように回り、床にひざをついて、ミンの脚を抱くように頬を寄せた。
 やさしくなびく柔らかな髪を、ミンはそっと手でくしけずり、安らかな微笑みをいとおしく見つめた。
「……アキ、……ごめんね……」
 胸奥の想いが、言葉になってほとばしり出る。
「ミン、ねえさま、どうしたの……?」
「アキ……ごめん、……私、この町を出ることに決めたの」
 瞬間、アキの心に衝撃が走ったのがわかる。
 ゆっくりと頭をもたげる。瞳の色は枯れず、動揺は見せない。
 ミンの目を見つめて、アキは言った。
「……ねえさま。……よかった、何も言わずに行ってしまうのかと思ったわ……」
 ミンは、アキの言葉を、何度もかみしめた。
「……ごめんね」
「いいわ、ミンねえさま。いつかは来るってわかっていたことだもの。……あたしは気にしないで」
 アキは、立ち上がり、ミンの腕を軽く引いた。
「……ねえさま、いつ行くの?」
「……祭りが終わったら、すぐだよ……」
 少しだけの驚きをのみこみ、アキはうなずいた。
「それなら、二人でいれる時間は、もうそんなに長くないのね……」
 ぽつりと言い、先に寝床に入って、布団をあげてミンを誘うようなしぐさを見せた。
 身を寄せあい、抱きあうような深い眠りが過ぎ、ミンは闇の中、一人だけ目を覚ましてしまった。
 心が不思議と、ぽかぽかとあたたかく、何か幸せな夢をみていたという感触だけが残っていた。
 枕に残るわずかな涙の跡を見て、思う。
 ──何の夢を見てたんだろう……?──
 傍らに、視線を送る。
 ほのかに、朝の青さが忍び入り、眠るアキを照らしている。静かな朝が、活発な朝に変わるまで、ミンはまどろみの中、ずっとアキの安らかな寝顔を眺めていた。

 収穫祭には、たまにしかしない出し物があって、「カゾリフ」は、前、この役をライサがやって以来、八年ぶりということになる。
 ケンネ町の伝説では、カゾリフは海を越えてシディアの港にやって来て、人々に魔法を伝えながら、ケンネの町を通り、北のイナム国へ行ったとされている。
 祭りの四日前のこと、ミンとアキはまだ夜のうちからシディアの港に向かい、朝早く、シディアからケンネまで歩いた。祭りの日は、カゾリフの衣装を来て、このコースを行くことになる。
 練習中の、お囃子の音を先導に、二人はいろいろと語り合いながら歩いていた。アキは、カゾリフに付き従った少女「ルティア」の役をすることになっていたから。
「……ねえさま?」
「なあに?」
「イオナスって子、知ってる?」
「……どんな子なの?」
「学校でね、ちょっと年下の男の子よ。魔法の才能があるから、今度マイネク先生が教えはじめるって言ってたわ」
 ミンは、少しのあいだ、周囲の森を見ながら自分の記憶をたぐっていたが、はた、と手を打って答えた。
「……ああ、うん、うわさだけは聞いたことがあるよ。先生よろこんでいたもの。またすごいのが現れたって」
「最近、仲いいのよ。その子ね、あたしのこと『アキねえさま』って呼ぶの。何かおかしな感じよ」
 首をかしげて見せたアキに、ミンはくすりと笑った。

 町役場に着くと、フェーネアおばさんが待ち構えていて、細い顔いっぱいに笑顔を作って、ミンとアキを魔法使いの集合所へと引っ張っていった。
「ミンさん! 今年はねえ、カゾリフの衣装、きちんと仕立て直したのよ。やっとできたから、見てごらんなさいよ」
 集合所には、町でよく見たおばさんたちが、どこからか集まってきていて、いろんな笑い顔で二人を迎えた。
 日に焼けた顔、神経質そうな細い顔、太陽みたいな丸い顔。その間に、気品のある、ていねいに作られたひとそろいの衣装が、誇らしげに吊るされてあった。
 藤の花があしらわれた紺色のやわらかな布で、ミンの足首まで隠れてしまいそうなロングスカートと、大きく羽織るジャケットが作られ、中の白のブラウスは、胸元が大きいフリルで飾られていた。秋の草花を編んで身にまとい、自然の精霊のような雰囲気をかもしだす。
「合わせてみたらいいわ。サイズ合わせるの、けっこう大変だったんだから」
「そうそう、背高いのよねえ」
 ミンは、苦笑いして、ハンガーごと服を取って、身の前にあててみた。肩の線が、まったく狂いなく、ぴったりと合う。
「あら、ちょうどだ」
 満面の笑みを、フェーネアは見せつけた。
「アキのもあるわよ。持ってくるわね」
「あたし?」
 思わず、ひとさし指で、自分の顔を指してみる。
 アキの「ルティア」の衣装は、ふわっと軽くふくらませたズボンが特徴的で、薄手の白のブラウスに茶のジャケットをはおり、荒い目のむぎわら帽子をかぶり、さらに、毛織りの一枚布を軽く巻くようになっていた。
 しばらく、何も言わず、アキはじっと惚けた顔で見とれていた。
「認定式も、カゾリフの恰好で出るんでしょ?」
 フェーネアに聞かれ、ミンは目をまるくした。
「ええっ? 何も聞いてないよ?」
 ゆったりと笑い、おばさんたちが付け加える。
「予定が、変わったのよ。祭りの途中で、認定式するって、マイネク先生がそう言ってたわ」
 ミンとアキは、お互いの顔を見合わせた。
 ──それなら、私は、祭りが終わったら、すぐ町を出ることになるということかな……──
 ミンの瞳の陰りを、アキは微笑んで溶かした。
「……ねえさま、あたしはそれでもいいわ。すてきな服で式を受けるなんて、素晴らしいと思う」
 落ち着いた、そぶりで、ミンはアキの肩を軽くたたいた。
 アキは、やさしく、明るい表情を、ミンへと返した。

 前日の夕方、町役場前の広場には舞台が設営され、竹製の大きな張り子の龍などが据えつけられ、舞踊などを演じる人々は、最後のリハーサルに余念がなかった。
 役場の魔法使いの集合所では、ミンとアキの衣装合わせがあわただしく行われ、いろんな人が入れかわり立ちかわりで、落ち着かない雰囲気が続いていた。
 日が落ちて、もうだいぶ暗くなって、ほとんど全てが終わり、帰る人も増えて静けさを取り戻す頃、明日にそなえて、帰る支度をしていたら、急ぎ足で、ライサが室内に飛び込んできた。
 明日着るはずの、魔法使いの正装に、さらにスカーフを巻いている。
「ああ、ミンさん、いたんだ。よかった」
 跳ねるように、上機嫌に歩いて、ミンの眼前に左腕をかざした。
「……ふふふ、これ、いいでしょ?」
「……あ!」
 思わず、手を自分のくちもとに当てる。
 つるくさ模様の、いぶし銀の幅広の腕輪が、ライサの手首で輝いていた。
「ソーウェさんと、おそろい?」
 ちょっと舌を出して、いたずらっぽい視線で、アキはライサを見上げてみせた。
「わかる?」
 まだ、きょとんとした表情のミンに、ライサは言った。
「……うーん、やっぱこういうことはアキの方が得意なのかな?」
 すこし憮然として、ミンはひじでライサの肩をこづくようにした。
「いや、私もわかってるよ……結婚するのね」
 軽く髪をかきあげ、ライサはにっこり笑った。
 銀の腕輪は、ケンネの町の家々に二つ揃いで伝えられているもので、結婚までの間、婚約者二人の腕を飾ることになっている。
「よかったね……いつになるの?」
「年明けの、春に挙式よ」
「……私は、行けないと思うけど。おしあわせに」
 わざと社交的に微笑んでみせたミンに、ライサはくちもとをほころばせた。

 東の森を空へと連れ去るような、紅から紺に続く鮮やかなグラデーションの下、身体にしみとおる冷たい空気を受けて、二人は砂浜から遙か水平線を見つめていた。
 伝説を語る衣装を身につけ、遠く昔に思いを馳せる。──カゾリフの魔法も、私の感じるものと同じだったのだろうか……──。偉大な魔法使いと、自分との間に接点を探そうとする。
 お囃子の明るいリズムが、風に乗って響き、アキはそっとミンを見上げた。
 何も言わず、一度だけうなずいた。
 海岸の岩場を登り切ると、鮮やかに彩られた衣装でそろえた人たちが、おどけたように二人を迎えた。
 列の中央に入り、黄色の服でかしこまった、アキよりも年下の子供たちを従えて、静々と、川に沿って上流へと歩いていく。
 アキは帽子を目深にかぶり、黙って、ミンのすぐ後ろを歩いていた。決して前へは出ようとせず、ずっとミンの背中が見えるように。
 太陽が顔を出し、一行の影が、さあっと長く伸びる。
 少しだけ、位置を変えて、アキは自分の影とミンの影を一つにしてみた。
 踏みしめるたびに、革の靴を通して、土の柔らかな暖かさが伝わってくる。もっとしっかりした感触を確かめたくて、何度か強く足踏みしてみると、心配そうな表情で、大きく髪をひとつに束ねたミンが振り向いた。
 困ったような表情を返し、二人、ひそかに微笑みを送り合う。
 いくつも、小さな村を通った。そのたびごとに行列は止まって、村人たちの歓迎を受けた。
 元気のいい、ちいさな子供たちがまず集まってきて、追いかけるように、着飾った大人たちが続く。
 赤ら顔の老人たちが、「カゾリフ」を一目見ようと、ミンのところまでやってきて、満足そうに笑った。これでこの一年も何ごともなく過ごせそうだ、などと思いながら。
 大きなおなかを大切そうにいつくしみながら、もうすぐお母さんになる人が、ミンたちのそばへ来て、ささやいた。
「……あなたが、ミンさまですね」
 ミンは笑顔で、両手を前にそろえ、軽く会釈する。
 若い母は、もう一つの命を肌越しにさすってあげ、言った。
「……この子が、無事生まれ、育ちますように、祈っていただけますか?」
「はい」
 身をかがめて、静かに手を触れた。そのてのひらに、そして心に、あふれそうな魂の胎動が伝わる。
「……大丈夫ね。元気よく生まれる」
 若い母は、ほっと相好をくずした。
「もうひとつ、お願いがあります」
「……どうしたの?」
「この子の、名前を考えていただけますか?」
 ミンは驚いたように、身を引き、アキと目を合わせた。知らないよ、という感じに、アキはわざとらしく視線をそらせる。
 ちょっと、弱ったな、という表情を見せて、ミンは聞いた。
「……でも、まだ、男の子か女の子か、わからないのに?」
 目を閉じ、安らかな祈りのように、若い母は言う。
「男の子なら、みんなを守れるような強い人に、女の子なら、みんなを助けられる魔法使いに……なってほしいと思います」
「それなら……」
 まわりの人々にも語りかけるような、暖かいミンの声。
「……男の子なら、ラーダ。……女の子なら、ミスティアがいいな」
 何にも揺るがない、海の強さが「ラーダ」。すべてを見通す、神秘的な魔法の目が「ミスティア」。
「それがいい!」
 誰かの、太い掛け声に、ミンは少し照れ、衣装には似合わないほど可愛らしく笑った。
「……ミンさまも、町をお出でになると、お聞きします。どこへ行きましても、おしあわせに……」
 村人の言葉に、ひとつひとつ、あいさつを送った。今まで触れていなかった、人々の優しさを感じながら。

 緊張感をただよわせ、町へ続く最後の坂道を登っていく。人垣の中に作られた細い道を、拍手に迎えられて舞台へ向かう。
 壇上へ登る階段の手前で、アキ──ルティアは、巻いていたスカーフのようなものを外し、空へ放り投げた。布は生き物のように身をくねらせ、アキの回りをゆっくりと旋回し、再び手のもとへ戻ってきた。
 布の反応を満足げに確かめ、腕にくるくると巻く。
 鋭い視線でどよめきを静め、一歩ずつ段を登っていく。
 細い身体を、一本の弓のようにぴんと張り、アキは手をかざし、高い太陽を示した。指の先まで、神経のいきとどいた、たおやかな動きで、舞うように腕を下ろし、身を返してミン──カゾリフを招く。
 ミンは、伸ばした手で、かすかにアキの指に触れ、一気に腕を振り下ろし、舞台へ駆け上がる。
 大きな、金属の鳴り物が、一度に打たれ、長い余韻を残した。
 空気も凍るような、静寂。自然の音だけがわずかにただよう。
 演ずるのは「魔法演舞」。ケンネの収穫祭の中で、いちばんきらびやかで、このうえなく激しい。
 舞台の右にアキ、左にミンが立つ。お互い、無言でにらみあい、動きが始まる前から、一枚の絵を作る。
 呼吸を合わせ、寸分も狂いなく同時に、さっと右手を上げ、相手に向ける。中央に魔法の空間を意識させる。
 二人のちょうど真ん中に、太陽の下でもはっきり見える、小さな黒のボールが、少しずつ大きくなっていく。
 もはや、鳥たちも、息をひそめているかのよう。
 人の頭くらいの大きさになり、さらに、子供の背丈くらいにふくらむ。内側から湧き出るように、あざやかな赤熱の色を帯びてくる。
 やがて、純粋な赤の、完全な球になる。
 磨かれたような表面が、丸くゆがめて、みんなの顔を映している。

 未来へ旅立つ、子供たちが、けんめいに最前列を陣取っていた。町の人々は、広場をぎっしりと埋めつくし、入りきれない人は、役場の窓や、屋根の上からさえ、かたずをのんで見守っていた。
 周囲の木々では、ところどころに妖精たちが、もっともすてきなものを見ようと、魔法の目を開いていた。
 舞台の裏側から、手に汗を握りつつ、魔法使いたちが見つめていた。ソーウェとライサは肩を寄せ合い、リドネは鷹揚に座っている。そしてマイネクは一人、──この姿を、サイアルに見せたかった……──そんな思いで毅然と立ち尽くしていた。

 アキは、腕に巻かれていた布の先端を、しゅっと投げた。それは棒のように伸び、赤の球に突き刺さった。
 返す腕を、いちど天に向け、飛び上がるように両手を突き上げ、さっと沈み、地に下ろす。呼応するように、球がふわりと浮き上がり、にぶく弾んで、急激に跳ね上がる。
 まったく同時に、ミンは赤球に飛びかかり、両腕で球の頂上を捕らえようとした。そのまま、球を地面に押しやるように逆立ちに全身をはずませ、太陽を蹴るように、はるか高空へ飛ぶ。
 身をひねりながら、上空からアキを襲う。再び、互いを指さし合った、ちょうどそこに、ぴたりと布がおさまり、両端を二人で握りしめる。
 ミンがぎゅっと布を引くと、場所をいれかえるように、アキが空高く宙に舞った。赤の球は、もういちど床の上で弾み、龍のかたちに姿を変えて、軌道の頂点でアキをすくいとった。
 舞台の真ん中にミンが立ち、二本の指で天を指す。赤い龍がらせんを巻き、ミンのちょうど真上から、アキが見下ろす。

 ぱん、と大きな音をたてて、龍ははじけた。
 いくつもの、様々な大きさの、青や黄色、紫の珠に変わる。日の光よりも眩しく、くらむような七色の光のカクテルを作りながら、その中をゆっくりと、アキは下りてくる。
 両手を、広げて、アキを抱きとめようとする。
 そのとき、
 おぼろな幻想が、ミンの心をさわがした。
 無数の、珠の記憶。……まぶたを閉ざし、空気に浮いたアキと、アキを包む乳白の霧の……。
 なぐられでもしたかのような、強いめまいがして、思わず目をつむる。
 はっと気づくと、いつもより、ずっとずっと濃い青の空を背景に、少女がふわふわと落ちてきていた。
 どさりと音を立てて、二人は、重なり合って花の野に倒れこんだ。
 ふうわりと、花の香りが広がる。
 カゾリフと、ルティアの衣装のまま。いつか語り合った夢の草原。
 アキは、跳ねるように立ち上がって、くるっと回ってみせた。上体だけ起こして、両手を背の後ろについて、ぼうぜんとミンは見ていた。
 いたずらに、ウインクを送る。ようやく、ミンは微笑みを見せる。
「ここは……」
 アキは、二本の指を、そっとミンの唇に当てた。
「そうよ、あたしの魔法の世界よ」
 ──どうして?──そう言いたげなミンの顔に、こつんと額をぶつけ、──そんなこと、どうだっていいじゃない──と思いを伝える。
「やっぱり、来たかったの。最後に、ミンとね……」
 ミンを助け起こして、アキは坂の上の方へと、走っていった。小走りで、ミンはついていく。
 いい思い出ばかりの、小さな山小屋を、もう一度ゆっくりと眺めた。木のふし、つたのからみ方まで、全く変わらない、永遠に時の止まった空間。
 小屋の中には、ずっと昔、散らした花びらが、まだ残っていた。
 ──あの、花冠はどこだろう?……──ミンが視線を走らせると、風でも吹いたのか、部屋の隅の方に、しかしまったく瑞々しさを失うことなく、存在の輝きをはなっていた。
 微笑み、白く細い腕で、アキは花冠を取った。だいだいの花を一本取って、紺の帽子に差し、ミンに手渡す。
 ──かぶってみて?──と瞳で伝えながら。
 ミン──カゾリフは、とまどいを見せつつも、花冠を、黒髪に当てた。
 ゆっくりと、手を離し、顔を上げてみる。
 アキの瞳の輝きに、花冠の魔力を感じる。
「……ねえさま。……きれいよ。ほんとうのカゾリフみたい」
 もちろん、遠い昔の魔法使いの姿なんて、アキは知らない。それでも、カゾリフはたぶんこうだろう。……いや絶対にこんな感じだったのだろう、……そんな気がする。
 野原をイメージした衣装に、ひときわオレンジの花が映える。

「……ほんとうはね。行っちゃいやなの……」
 床にぺたりと、寄り添いながら座り、アキはいくつも、珠のような声で言葉をつむいだ。
 何も、言えないミンに、眠たげに感じられるほど、暖かく、ゆっくりと。
「……言わないつもりだったわ。……でも、ねえさまと、ほんとは離れたくない」
 まつげを伏せ、ミンの肩に額を寄せる。
「だけど、『行かないで』なんて言わない。……寂しくなると思うけど、あたしは大丈夫よ……」
 言葉の終わりが、かすんで、やわらかに消える。
「……ありがとう、……アキ……」
 アキの髪が、ミンの腕の中で、かすかに、揺れる。
 長い午後の日を感じ、窓の外、遙かな空を見上げる。
「……ねえさま、もう帰りましょう。あたし、なんだか、疲れちゃったわ……」
 ──ああ、そうね。だいぶ、魔法使ったんだよね……──
 アキの声に、ミンははっと気づき、やさしく、アキを抱きとめ、軽く目を閉じた。
 意識の奥深く、聞こえてくる歓声に、ようやく、我にかえった。

 気がつくと、あたたかな昼の舞台の上で、ミンはアキを抱きかかえ、ぼうぜんと立ちつくし、皆の喝采を浴びていた。
 アキは、自分からせかして、飛び下りるように舞台に立った。
 ミンの腕を取り、頭上にかざして、二人一緒に、拍手に応える。
 ゆっくりと階段を下りると、魔法使いたちが出迎えてくれた。そのまま、人の波にもまれながら、町役場の集合所に移動し、なんとか一息つく。
「すごいわ、二人とも、あんなこと絶対ほかの人にはできないわよ」
 ライサが、ミンとアキの背中に、いっしょにそっと手を当てた。
「うん、良かったよ。……あの動きは、二人で考えたのかい?」
 ソーウェの問いに、二人は笑って、うなずきあった。
「……あれ、それは?」
 ミンとアキの頭の方を見て、ライサは不思議そうに聞いた。ミンが手を当ててみると、確かな、花冠の感触がする。外して、手にしてみると、まごうことなく、あの世界の、オレンジの花びらだった。
「良く似合ってるわ。二人とも。何の花なの?」
「きれいな花だよ」
 くすっと笑って、アキは答えた。笑顔が空気に広がり、場がぐっと和んだ。
 ミンがよく見ると、花びらは魔法の世界にあったときより、わずかにくすんで見え、少しだけしなびているようだった。
 ──そうだね。こっちの世界では、時が動いてるもの……──
 ミンは、ぼんやりと、そう考えていた。
 リドネが場所を作り、お茶と昼食を広げ、魔法使いたちだけで、こっそりと喧騒を離れ、少しだけ休息を取る。この後は、しばらく休んでから、マイネクとミン、それとライサの母のディアナだけで、認定式を行うことになる。
 これから、ミンの行くところ、ミンの会う人について、なんの屈託もなく、みんなで談笑しあった。
 ふと、窓の方に、ぱたぱたぱたと、リズミカルな羽音がして、皆はいっせいに音の方向を見た。
「あら、フィビアさん?」
 リドネが、小さな彼女のために、机の上に席をすすめようとするのを、フィビアは両手を合わせるしぐさでやんわりとことわって、窓枠に立って、高くきれいに響く声を立てた。
「今日はね、あたしもお別れを言いに来たのよ」
 寂しげな声音に、心におどろきが広がる。
「……どうしたの? フィビアさん」
「あたしもね、……そろそろ森に入って、魂を休めようかな、なんて思っているの。……でもね、行くのは冬過ぎにしようと思ってるから、とりあえずミンにあいさつしに来ただけよ」
 翼をさっと広げ、軽く浮き上がってミンの肩に止まる。
「……ミンさん、……これでお別れね。遠くに行っても、自分の生まれたところ、覚えていてね」
 ミンは、目を細め、応える。
「忘れないよ。みんな。……フィビアさんも、元気でね」
 ──「元気でね」というのも変よね……──フィビアは、ミンの言葉のそぐわなさを感じて、ちょっと笑って首をひねった。

 厳粛な、かたくるしい認定式が終わり、ミンとアキは、よそいき着に着替えて、夕方の祭りに出かけた。
 ゆるやかな階段を下りていく先、夕日の落ちる方向を見つめる。風にのって、人のざわめきと、鳴り物のリズムが聞こえてくる。
 二人、手を取り合って広場を目ざす。
 ミンの胸元には、グリーンのペンダントが光っていた。宝石を中心に、妖精の羽をシンプルにデザインしてある、ケンネ町の魔法使いの紋章の形をしている。
「……ねえさま、それが、『ウィラ』のあかしなの?」
 ミンは首から、ペンダントを外し、見やすいようにアキに手渡した。
 夕日に透かすように、何度も、いろんな角度から眺めてみる。
 アキの眼を覗き込み、ミンは言葉をかけた。
「……それ、サイアル先生のものだったんだよ」
「そうなの?」
 心の中に、太い声、叱られたこと、厳しい中に見せた愛嬌のある笑い、などが一度に思い出される。

 広場へ入ると、昼の舞台はもうあらかた片づけられていて、芝のステージでは芸人たちが、器用にいくつものボールをあやつって芸をしていた。
 どこから来たのか、出店がいくつも軒をならべていて、アキの学校の知り合いたちが、真剣な顔をしていろんなゲームに挑戦していた。
 ふと見ると、よく知っている背中が、簡単な木の椅子に座り、しきりに首をかしげている。ひょいとのぞきこむと、大道棋士相手に、マイネクが大分遊ばれている。
「先生、負けてるの?」
 ささやくアキの疑問に、少しはわかるミンが答える。
「うん、けっこう負けてる」
 二人のくすくす笑いが聞こえたのか、マイネクは決まり悪そうに白髭をひねった。
「……これは、いらんところを見られてしまったな」
 場が、どっと笑い、陽気そうな大道棋士のおじさんも、にっこりとまわりに愛想をふりまいていた。
 先に行くと、「投げ矢」の看板をあげた出店が出ていた。いつかライサのところで見たダーツ盤と同じものが、店の中に掛かっている。
「やってみる?」
 ミンの、その言葉を待っていたかのように、アキは得意そうに笑い、ポケットの中から、マイネクにもらった銅貨を二枚取り出した。
 店の親父は、赤い丸顔の、小柄だけど威勢のいいおじさんで、女の子の挑戦に、おおげさに驚いてみせた。
「……いいかい? この線のところから投げるんだよ。三本で四十点、なんだけど、まだ小さいから三十点でいいや」
 一息にまくしたてられ、小振りの投げ矢を渡される。
「それじゃあ、まず一本目行ってみよう!」
 アキは、少し靴を擦って、足場を固め、息を止めて精神を集中させた。線から板までは七、八歩といったところだろうか。
 キレのいい、一回の動作で、シュッと矢は飛んでいく。
 とん、と小気味いい音をたてて、針の刺さったところは、数字を区分けする格子もようの、ちょうど交わるところだった。
「おおっ!?」
 今度はほんとうにびっくりした様子で、おじさんは、ひょうきんなしかめっつらで、矢の立ったところを慎重に吟味する。
「うーん、……やるねえ! うん、これはしょうがない、十五、十四、六、七の四十二点だ! いやいや、この商売も長いけど、一本できっちり持っていかれたのは初めてだ。お嬢ちゃんには、特別に結構いいのをあげなきゃねえ」
 その言葉にうそはないらしく、おじさんは、かなり楽しげに、普通の景品袋ではなく商売道具のかばんから一個指輪を取り出した。
 周囲のどよめきを受けて、アキは少し照れ笑いして受け取った。
 何か恥ずかしくて、急ぎ足で行こうと思ったら、背後から店のおじさんに、
「すごいねえ! 遊んでくれてありがとうよ!」
 と大声で叫ばれてしまった。
 あわてて、人垣に逃げ込む。

「人多いね、……町にこんなに人いたの?」
 アキは、朝、というより前日の夜からのめまぐるしさに、大分疲れた様子で、ぽつりと言った。
「みんな、集まって来てるんだよ。まわりの村からもね」
 ミンは、アキのために休めるところを探し、結局は自分たちの住む建物へ続く階段の、途中に腰を下ろした。
 遠目に、広場を眺める。夕日の赤も、もうすっかり消えてしまって、あかあかとつけられたいくつものかがり火と、重たげに東の空に現れた、おおきな月に照らされるだけ。
 お囃子はもうやらなくなって、その代わり、音楽芸人たちが、大陸で流行の、テンポの早い舞曲を、陽気なリュートの音色に乗せていた。
「ミンねえさま?」
 ポケットから、アキは、さっき手に入れた指輪を出してみた。
「どうしたの?」
「この指輪、……ねえさまにあげる」
 押しこめられるように、てのひらに指輪が渡される。
「いいの? アキ?」
「……いいわ。だって、あたしじゃ大きすぎて、親指にでもつけないとしょうがないし、それに、ミンねえさま出ていくのに、何も贈るものもなかったしね……」
 ミンは、左手の人さし指に指輪を通した。大きめの指輪は、かなりぴったりとしたサイズで、ひかえめな装飾も、ミンにはよく似合っていた。
「……ありがとう……ずっとつけておくよ、これ」
 うれしそうに、アキは目を細めた。

 広場の奥の森の方から、低く弾ける音が響き、天空に大輪の花が輝いた。
「うわ……」
 いきなりのことに、ミンは目を見張った。
 続けざまに、さらに二回、音がうなり、ぱらぱらと空ではじけて紅や紫の花を描き出す。
「きれい……、花火だわ……」
「花火?」
「あたし、昔住んでた港で、見たことあるわ。……とてもすてきでしょ? ……もう、やんないのかな?」
 不満そうに、アキが森の方を見たとき、もっと大きな音がこだまして、真紅の珠が跳ね、緑、紫と鮮やかに色を変え、夜空の深い闇へ吸い込まれていった。
 一瞬のうちに、いろんな表情を見せ、心には、ずっと残る。
「ミンねえさま……明日出ちゃうんだよね……」
 闇に沈む、端正な横顔でアキは、言葉をこぼした。
「うん、……」
 同じ方向を見つめ、ミンは返す。
 祭りも終わり支度を始め、たいまつも一つ一つ消されていき、そのたびごとに、アキの白い頬が、暗くなっていく。
「明日の、朝早く?」
 少しだけ、アキはミンの方を向いた。
「……そう……」
 ミンの表情はかたく、遠くで人々がいそがしげに動いているのをぼおっと見つめていた。
「……それなら、いっしょに眠るのも、今日が最後になるのね」
 ひざをまるめて立ち上がり、アキはミンの腕を取り、自分たちの家へといざなった。
 ゆっくりと、ミンも起き上がり、草原に、長い髪をなびかせる。
 じっと、アキを見つめ、かぶさるように、アキの身体を抱く。
 互いが互いの、髪の感触を感じ、熱い鼓動を確かめ、ひたいとひたいをよせる。
 そして、どちらからともなく、閉じたくちびるの先を、そっと触れ合わせた。
「……ありがとう、ミンねえさま。ずっと楽しかった」
 ミンは抱き締めていた腕をゆるめ、瞳をあわせた。
「私も、楽しかったよ。ほんとに、ありがとう、……アキ……」
 微笑む、アキの姿が、涙に揺れて映る。
 月にむらくもがかかり、二人を夜の底へとやさしく隠す。


夜の底は柔らかな幻〜第11章