夜の底は柔らかな幻〜第7章  

Phase 7 "throw to me"(496/Spring)

「エルム・ユートからの手紙をことづかってきました」
 少女は、そう言って、長いまつげをそっと伏せた。
 年の頃は、ミンと同じぐらい。十四か五くらいだろうか。髪はつやのある黒だったが、よく見ると日の光に照らされたところは紫色に輝いていた。ゆるやかに波うつくせ毛を、カチューシャでしっかりと押さえつけ、広いひたいを目立たせていた。
 くっきりとした目鼻だち、瞳は海の群青色。ミンは、旅芸人が歌う情熱的な「恋い焦がれる異国の姫」のイメージを少女から感じ取った。
 少女は、藤のてさげから封筒を取り、マイネクに差し出した。封筒は印により正式に封がしてあり、表には、“エルム・ユートから、マイネク・ウィルフィールドへ”と書いてあった。
 マイネクは、少女にことわりを入れて、その場で封を解いた。ミンとサイアルが、心配気にのぞきこもうとするのを、手で制して黙読を始める。
 筆と墨で、几帳面なまでに、ひともじずつていねいに書かれた、正式な手紙だった。
『 私の師匠たるマイネク様。
 お互いの意志の相違により、違う道を進むことになり、運命の悲痛さに耐えません。
 先王の死に際し、この国の未来へ立てた決意は、マイネク様と私とでは違っていました。マイネク様は国家へ背を向けてまで、自分の志を通すかたくなさをお持ちでした。
 王城の法務では、職務を放棄した罪だけでなく、反逆の罪までをも、マイネク様に認めました。もう私は、師匠とともにあることはできません。
 次にお会いするときは、敵同士の関係でしょう。おそらく、ケンネと王城の境、マナの町で、交渉か、戦いかがなされることと思います。
 娘をつかわし、このことをお伝えいたします。       』
 読み終わったのを見計らって、少女はマイネクに深々とおじきをした。
「申し遅れました。……ファイ・ユートと申します。エルムの娘に当たります」
 そぶりの一つ一つが、しなやかで、まるで静かな舞のようにさえ見えた。
 マイネクは、最後に彼女と会ったとき──アキを王城から脱出させたとき──のことをつぶさに思い出していた。──エルムは確かにあのとき、私がアキをかくまっていたことを、魔法の力で知っていたのだ。それなのに、私を立てて、事実を誰にも伝えなかった。王にも、最愛の夫ガルフにさえも……──
「……エルムさんか……。彼女は、無事なのかな……」
「母は、王城へ戻って、魔法使いたちの副長を務めております……。『魔法に関しては、自分はいつまでもマイネク様の弟子です』と、母は申しておりました……」
「そうか……」
 マイネクは、眉間にしわをよせ、目を閉じてうつむいた。涙をこぼさんばかりの悲痛な表情だと、ミンには思えた。
 リドネが、ミンにささやいた。
「エルムさんは、私の姉弟子にあたる人よ。マイネク様の弟子の中ではいちばん優秀だったわ」
「……その人は、なぜここに来なかったの?」
「あの人は、だんなさまを深く愛しているし、だんなさまは、王城の忠実な将校だしね。あの人は、やはり、王城に残る方を選んだわ」
 手紙には「意志の違い」などと書かれていたが、実際にエルムと接していたリドネの推測の方が、より核心を突いていた。ガルフとの恋の相談にのってあげたこともあるぐらいで、魔法の修行で心を傷めたエルムと、優しく癒してあげたガルフとの深い絆は、誰よりもよくわかっていた。
 ──王城に残っても、いいことはひとつもないだろうに……──ミンは、そう思った。しかし、自分の将来を犠牲にしても、大切に守りたいものがあるのだろう、とミンは理解した。
 白髭をしごき、マイネクはファイに話しかけた。
「……エルムさんは、どうして君をつかわしたのかな?」
 ずっと無表情のまま、ファイは答えた。
「『あなたの進む道は、あなた自身が決めなさい』と、母に言われました。『マイネク様に会えたら、帰らなくともよい』と」
 毅然とした口調に、集合所にいた人全てが、ファイを見上げた。
 大人びた、少女だった。灰白色の、ワンピースや、スカーフなど、貴婦人が身につけるようなものが、彼女が着るとまるであつらえたかのように似合った。
「それで、……君はどうするつもりか?」
 威厳のある、マイネクの言葉にも、ファイは感情を見せなかった。
「……私は、魔法使いになるつもりはありません。王城に帰り、両親と運命を伴にすることでしょう」
「そうか、それならば、エルムさんに伝えておいてほしい。『自分の思う道をまっとうしてほしい』と」
「わかりました」
 凍りついていたファイの表情が、ほんのわずか、微笑んだように見えた。
 そのとき、ガタリと音を立て、ミンが立ち上がった。高い背に、長いみつあみがゆれる。
 皆の視線を集める中、いつになく、たどたどしく、ミンは言った。
「……ファイ、さん」
「何、です? あなたは誰?」
「ミン、……ミンというの……」
「どうしたのですか……?」
「え、いや、ただ……」
 自分の行動にとまどうミンの様子を見て、ファイはくちもとに手の甲をあてて、慈しむように笑った。
 一瞬だけ、かわいい、十四五の少女に変身する。
「……ミンさん、あなたは魔法使いですか?」
「はい……」
「魔法、好きそうですね。うらやましいくらい。私は、どうも、魔法が好きになれない、それだけです。気にしないで……」
「本当、なの?」
 無言で、ファイは笑顔でうなずいた。しかし、そのときのあやふやな視線の変化を、ミンは見逃さなかった。
「ファイ、さん。帰ってしまうの?」
「……自分で、決めたことです。だけど、もし縁があるのなら、あなたとは、また会えると思います」
 ──この人は、大人だな……──ミンは感じ、ゆっくりと、自分の席に戻った。──私にも、あれだけの落ち着きがあればいいのに……──
「いつでも、ここへ来るがいいよ。どんな事になろうとも、我々は君を歓迎するよ」
 マイネクの言葉に、ファイは会釈を返した。
「ありがとうございます……」
「待って! ファイ……」
 ふたたび立ち上がりかけたミンを、ファイはなごやかな視線だけで押し止め、静かになった部屋から、そっと出ていった。
 ミンは、ぼうぜんと、立ちつくす。
「どうしたのかい? ミン」
「いえ、……ただ、あの人の何かを感じて……」
 サイアルは、マイネクと顔を見合わせた。
「何か、ね」
「確かにな……。あの子も、すさまじいばかりの力を秘めているようだな。わしにも、ひしひしと感じられたよ」
 部屋の一同は、うなずきあった。
「惜しいな……」
「そうかな? サイアル。わしはそうは思わんな。自分の道を探すことが、魔法使いにとっていちばん大切なことだと思うからな」
 マイネクは、言った後、なにごとかをぶつぶつとつぶやいていた。サイアルが耳をすますと、「魔法使いは、自分の死に場所くらい、自分で作らないといかん」と言っていた。
 ──自分の死に場所……どうなるのかな……?──サイアルは、ぼおっと考えをめぐらせた。大陸から、家族と共に島へ渡り、ケンネ鉱山で魔法の修行を積んだ、自分の過去の記憶がよみがえってきた。
 首を振って、弱気を振り払った。

 ケンネの町は二百年ほど前、二人の妖精、レイナとシノによって拓かれた。
 「妖精を妖魔の一種として排除する」イグゼム国との戦いに破れ、妖精たちがケンネの森へと流れてきた。レイナとシノは、持てる魔法の力を存分に使い、妖精だけでなく人族も住めるように、妖魔をさえぎる結界を張った。それが現在の「テンヤン山麓結界」である。
 彼女たちのみちびきによって、王城と対立する人々が集まりはじめ、鉱山が開けるにつれて町が大きくなっていった。
 ケンネの町は一応はイグゼム国の領土とされるが、現実には完全に独立していて、討伐しようとする王城と独立を主張するケンネ町との間で何度も争いが起こっていた。
 ミンは、町へ来た当初、町民たちがけんめいに武芸の訓練にはげむ様子を奇異に感じたことがあった。戦いの訓練は、町ではすでに日常になっているのだ。
「……今度もまた戦いになるのだろうな……」
 重々しく、マイネクは言った。
 アキの瞳が、わずかにくもる。
「あたしたちも、戦うことになるのかな?」
「君らは、……どうかわからないな」
 あいまいな返事に、ミンはうつむいて、ゆっくりとかぶりを振った。
──ほんとうなら、戦いなんかないほうがいい。……だけども、戦わないと得られない大切なものもあるのだろう……──
 “何かをしなければ”という思いにミンはいまだに捕らわれていた。この思いが消えぬうちは、私はいろいろなことに巻き込まれていくのだろう。
 カチャッ。
 ……ノックもなしに、マイネクの部屋の扉がすうっと開かれた。
「……こんばんわ、あら? ミンさんと……アキさんもいるの?」
 酒瓶と何かの肴を手に、リドネとライサが入ってきた。後からサイアルも続く。
「もう、若い子と湿っぽい話もないでしょうに。部屋もこんなに暗くしちゃってねえ」
 リドネがてきぱきとカップの類を揃える間に、ライサは部屋にあるランプ全部に火を灯していく。いいコンビネーションだ。
「……しかしな、ミンたちにも話さないとならないことはあるのだろう?」
「そうですよ。あたしたちも今日は真面目な話をしに来たのよ」
 マイネクはげんこつで自分のこめかみのあたりをぎゅっと押して、しかめっ面を作った。──こいつにペース持っていかれるのは、王城の頃からずっと変わらないな──などと思いながら。

「手紙には、『交渉か、戦いか』などと書いてあったが、……向こうも交渉なんてハナから考えてないんだろうな」
 いつになく、真剣そのものの面持ちでサイアルが言った。
「そうね。……王城の連中はマイネク様を引き渡せというでしょうし」 リドネの言葉に、ミンは反射的に応じた。
「そんな! マイネク様は渡せない!」
 マイネクは、少々照れ、きまりわるそうに声をたてて笑った。
「ははは、……わしもここから動くつもりはないな」
「しかし、それなら戦いは避けられないですぜ」
「問題は向こうが軍でくるか、少人数で来るかですね」
「順番としては、まず少数で、次に軍で、だな」
 リドネは、わざとらしく、しかめっ面で考えるそぶりを見せた。
「まず来るのは誰でしょうねえ……?」
「そうだな、…………」
 答えは、マイネクの頭にすぐ浮かんだ。言葉が出なかったのは、自分の予想がどうしても避けたいことだったからだ。
 エルムと、直接戦いたくはない。
 ミンの脳裏に、冬のことが思い出された。
 冬のあいだ、テンヤンの森に積もる雪の上で、時折アキと二人で魔法の訓練をしていた。
 雪を溶かしてみたり、霧に変えてみたり、さらには龍の形に飛び回らせたりした。コートと帽子で、布のかたまりみたいになってしまったアキと山を駆け、魔法の珠を飛ばしあったりもした。
 それが何のための訓練だったか、ミンにはおぼろげにわかってきた。
十分な力を使えば、沸き立つ熱湯を敵に浴びせたり、激しく燃え盛る矢を敵陣にとばしたりもできる。
 そばでアキが、ミンの膝にもたれかかるようにして眠っていた。閉ざされた目と半分開いたくちもとは安らかで、血なまぐささとは無縁のものに思えた。
 戦いの想像をめぐらせてみた。ミンにとって、敵となる「王城の魔法使い」はファイの姿しか考えられなかった。
 慄然とした姿に、尊敬さえも感じるファイと、自分は争うことができるのだろうか……。──しかし、いざアキを守るためなら、私は何だってできるだろう──。
 それがアキの力を奪うことになるかもしれない。それでも、自分がアキを助けなければならないことは、確かだと感じられた。
「いざというときに備えなければな」
 マイネクの声に、ミンは我にかえった。
「……サイアルは民兵の訓練を手伝う。リドネは町の監視を仕切る。ライサはできればシディアの港町まで行って、マナの町を見張っていてほしい」
 一同はうなずきあった。
 不安そうに、ミンは尋ねた。
「私たちは……?」
「君たちは……」
 歯をくいしばり、眉間に深くしわを刻み、一時のあいだ苦々しい表情を作り、それからマイネクは答えた。
「魔法の修行を続けていなさい。……たとえどんなことになろうともな。……もし我々が破れるようなことがあれば、北のイナム国に行き、シャロックという人を頼るようにな……」
 ミンは、話の後半を聞き流していた。マイネクたちが倒れることがあれば、自分たちも同時に倒されるだろう。ミンにはそのようにしか考えられなかった。
 おちついた寝息をたてるアキの髪を、手でそっとくしけずる。感触は、頼り無げなほどに、柔らかかった。


夜の底は柔らかな幻〜第7章