転生、の持つ意味はきらびやかでもあでやかでもないけど、深い。
自分が過去から転生を繰り返してきていることに気づくことは、それはすなわち、自分がたとえ死んでも、転生して次の世に甦ることにきづくことである。
つまり、死が怖くなくなる。
過去に学んだものはよみがえり、さらに今生で学んだものは蓄積されて来世に伝えられる。そうして、魂は知恵と知識を積み上げていく。
タリアの魔法使いたちは説く。
「自分の好きなことを、自分のできる限りでやるといい」
知識を得ること、知恵を得ること、来世につなぐこと。そうしてどんどん魂を豊かにしていけば、生のシークエンスの中で、いつか「転生」に気がつくときがくるから。
気がついたそのとき、自分が一段高い「生」を知ったことを悟る。
高い「生」は人族全てのこと、世界全てのことが見えるようになる。そしてさらなる高みがあるのかもしれない。どこまでも広くなれるのかもしれない。それはわからない。
だけど、魔法を志す者は「悟り」へ向けて自分の魂を豊かにするよう楽しみ、「悟った」者たちは自らの身体を静かに死と次の生へゆだねさえする。
人族は、そんなもん。
通常の「死」のない妖精たちは何を思う?
妖精たちは、人族の魂が現世に別の形を取って現れたもの。魂の状態だったときはただただ安らかだったのに、現世に現れると安らかではいられない。
妖精たちは自分のことを「欠けた」存在だと思っている。何かが欠けてしまったから、魂の状態でいられなくなったのだと。だから、生まれたばかりの妖精は(※妖精は魔法空間から最初から成人の形をとって誕生する。最初から魂由来の思考能力とテレパスを介した簡単なコミニュケーション能力を持つ)、漠然とした喪失感を感じている。
喪失感を埋めるため、広く旅に出る。最初の五十年。この時期が「旅の妖精」。
どこかに根付き、魂を豊かにして、再び「悟り」をめざす、次の百年。この時期が「土の妖精」。
そして、自分の魂の在り処を知ったとき、妖精は再び魂の状態に戻ることを望む。つまり百五十年ほどで、妖精はこの世から姿を消す。
だが……埋められないほどの喪失感を作ってしまった者たちは……。
たとえ魂の在り処を知っても、現世に永くとどまる。これが「時の妖精」。
ルィノ・マスターの魂は、銀碑歴前20年頃、タリアから一月行程ほど離れた、イナムという地に誕生した。
現在、タリアは、銀碑歴で言えば549年。ルィノは今も時の妖精でいる。
魔法空間に広く心を遊ばせ、妖精族や人族の微妙なあやまで知り尽くしていても、自分自身のことがまだわからずにいる。いくつかの辛い思い出が喪失感となって魂を現世に縛りつける。
生を見事に全うした魔法使いや妖精たちを見送るごとに、行き場のない寂しさが心に溜まる。
だけど。ほんとのことを言えば、ルィノは少々現世と人族を愛しすぎている。好きで好きでたまらないから、魂の状態に帰るなんてとんでもない、とちょっと思ってたりもする。
見方を変えれば、ルィノだって日々たくさんの好奇心をもって、魂に知恵と知識を積み重ねている。その魂は普通の「悟り」よりさらに高いものを見ようとしているのかもしれない。