フェルミ-リーナ号 航海日誌01:カスタムキーボード

「マイカ、これいいでしょ? どう?」
 ウェーブの髪をかきあげ、フェスティバは小脇に抱えた白い板を見せびらかすように腰をひねった。
 ふうわりと、柑橘系のさわやかな香りがただよう。エルベ星系から取れる香水だ。女三人だけの宇宙船の中でも、彼女は流行の最先端を見逃すことはない。
「今度はなによ?」
 わざとつまらなそうにマイカは答えた。フェスティバはジャンク品を集める趣味があって重量や危険性を気にしないので、船長のマイカは少しだけ困っているのだ。
「カスタムキーボードっていうんだ」
「キーボード? またなつかしいものを」
 マイカは腕組みをした。二十代なかばの小柄なメガネ美人、と一見見えるが、スーツに身を包みきりっとした表情をすると歳相応の威厳が感じられた。……本当は四百歳を少し越えている。
「『なつかしい』なの? 普通文字入力にはキーボード使うでしょ」
「今どき? 思考スキャナも網膜入力も音声もあるのに?」
「絵とかなら使うけどさ、思考スキャナはあたしには合わないんだ。どんなに設定変えても、モロに雑念が入る。あたし普段こんなロクでもないこと考えてるのかーって自己嫌悪くるし。結局手で打った方が早くなるんだ」
「そういうものか?」
 マイカは、派手目の背の高いおねえさんといった感じのフェスティバをちらっと見て、−−まあ、何考えてるのかわかんない娘だからねえ……−−と思った。

 フェスティバはジャズのようなものを口ずさみながら白い板を自分のコントロールデスクにはめ込んだ。デスクは全面ディスプレイになっていて、1秒足らずで「新しい入力装置が認識されました」と表示された。
「これで、よしと」
 パンパンと、満足そうにフェスティバが手をたたいたとき、背中の方からぱたぱたと羽音が近づいてきた。
「フェスティバ、なにしてんの?」
 この船の、もう一人の乗組員、リノだ。彼女は「地球妖精族」と登録されている種族で人間の肘からてのひらまでぐらいの背丈で、うす茶色の翼で飛ぶことができる。
 リノはドーム状の広い中央艦橋ホールを飛んで、真ん中あたりのコントロールデスクに向かっているフェスティバの肩にとまった。
 元ダンサーらしく、フェスティバは両手を広げ、指先まで神経を使ったしなやかな動きで軽く見栄を切る。
「ちょっと面白いよこれは。見てて」
 そう言って、デスク上に表示した設定パネルを「地球標準」に合わせると……
ポコン。
 小気味いい音を立てて、今までただの白い板だったカスタムキーボードから、ぽん、とたくさんのキーが飛び出した。左上から順にQWERTYと並ぶ、その名もずばり「QWERTY(クウォーティ)配列」。タイプライターの時代からある古典的キーボードだ。
「すごいー」
「よくできてるね」
 二人の言葉を聞いて、フェスティバはふふっと笑い、設定をちょっとだけ変えてもう一度ボタンを押した。
ペコッ、ポコン。
 今度は見慣れない扇形のキーボードが現れた。大昔、M式と呼ばれていた、左手で母音を入力し、右手で子音を入力する特殊なキーボードである。
「あら? どうなってるの? これ」
 マイカは、身体を乗り出してキーを押してみた。
「……ああ、これもディスプレイの一種なんだ」
 つまり、キーの上に書かれている文字、「あ」とか「A」とかは、自由に表示を変えられる。
「このキーはどうやって飛び出させているの?」
「通電で硬さを変えられるプラスティック」
「なるほどね」

 リノは勝手にコントロールデスクの上を飛び跳ねて足で操作していた。
 クルミぐらいの頭をひょいとフェスティバの方へ向けて、とても高いさらさらと小さな鈴を鳴らすような声で聞く。
「これいじっていい?」
「いじってから言うなー」
 フェスティバの答えを待たず、リノは勝手に足元のスイッチを動かしていた。「キーボードの大きさ」とあり、10%〜1000%で変更できるようになっている。
 リノは、左足でツールバーを20%のところまで移動させ、右足でぽん、と更新ボタンを踏んだ。
ペコッ、ピチッ。
 それはそれはかわいらしいキーボードが、つつましく飛び出てくる。
「ちょうどリノサイズだ」
 興味ありげにマイカは覗き込んだ。リノはさっとキーボードの脇にしゃがみこみ、よろこんでキータッチしようとして、不満そうに振り返った。
「……これ、キー配列めちゃくちゃ」
 フェスティバもじっと顔を近づける。
「あら? 設定変なのかな? ごめん、ちょっとどいて」
 右手の甲でリノの身体をぐっとおしのけて、フェスティバは設定パネルをいろいろと開けたり閉めたりして試行錯誤を始めた。リノのイライラがはじまる前に、フェスティバは原因を探り当てた。どうやら『キー配列』の『配列学習機能』がONになっていたのが悪かったらしい。
「配列学習機能?」
 三人はあきれたように顔を見合わせる。
「うらら? 『配列学習機能』ってなによ?」
 マイカは、軽く振り向いて船内コンピューター「うらら」に聞いてみた。うららは新人女性アナウンサーのような、すこしぎこちなくて幼い感じの声で答えた。

−−『キーの配列学習機能』−−
  カスタムキーボードのカスタマイズ性能をフルに生かした新機能!
  よく使うキーを判断し、打ちやすい位置に自動的に移動させます。
  ……だそうです。

「なんてことだ!」
「画期的だよ!」
「てゆっか前衛的〜。ありえない。こんな激しいの初めて。最高かも」
 ちゃかちゃかと、リノは操作を始めた。同じキーを連打してるのに画面には暗号みたいなアルファベットの列が。
「ねえねえ、こんなゲームあったよね、なんとかを探せって」
 眉をしかめて顔をぐっと近づけて「Hello, World!」と打つまでおよそ1分。
「どこをどうしたらこんなしょーがない機能が出てくるんだ?」
 あきれたフェスティバに、マイカはいつもの口癖で答えた。
「宇宙ヤバイ超広い」

 フェスティバは気を取り直して、設定を全部初期化して、配列をQWERTYにして、もう一度キーボードの大きさを20%にした。
 羽をうれしそうに軽くぱたぱたさせて、リノは小さなキーボードに向かった。が……
「ああ、あれれれれれ? これ、すっごく硬いよ」
 フェスティバは、きれいに伸ばして、紫のマニキュアを塗った爪を、ぐっとキーに立ててみた。それでも全く押し込むことができない。
「あれ? 硬さの設定変になってる」
 硬さ調節の設定パネルを開くとhardestになっている。これをぐっと、いちばん柔らかいところまで動かす。
「これでいいと思うよ。押してみて」
「ありがと、それじゃ……」
 にこっと笑ってリノはキーに指を寄せ……

 ばっち〜ん

 ハデな音のすぐ後、高い天井の上の方で、鈍くダーンと響く音がした。
 はっとフェスティバは上を見上げる。星々を映す透明な天井から、うす茶色の翼がきりもみしながら落ちてくる。とっさに手を広げ、うまくクッションになるように受け止める。
「リノ、リノ! どうしたの? だいじょうぶ!?」
「…………あ、……うん……痛いけど」
 かすかな声に、フェスティバはほっと胸をなでおろした。
「それにしても、何があったの?」
 リノをデスクの上にそっと寝かせて、顔を上げると、マイカの厳しい視線の直撃をくらった。
「フェスティバ。これじゃないの?」
 平坦な声にかえって怒りを感じる。
 デスクを指し示す指の先を追うと……。

−−『キーの硬さ調節・高度な設定』−−
  ・押し込み……現在の設定・very soft
  ・跳ね返り……現在の設定・hardest

「押し込みと跳ね返りが別なのか!」
「そうだよ。ジャンクって何があるかわかんない。マニュアルぐらい先に読もうよ、でなきゃ試行錯誤する前にうららに聞こうよ」
「……うー、危ないことがあればうららが教えてくれるんでないのか?」
 フェスティバの言い訳をマイカは聞き流し、誰もいない天井に向けて声をかけた
「うらら、この船のセキュリティはどうなってんだっけ?」

−−総合セキュリティレベルの調節は、死なん程度にと聞いております−−

「そうなのか!」
「この船は、高速輸送実験船だし。自分の身は自分で守れって最初に言ったよ」
 フェスティバは、珍しくしおれた表情で、カスタムキーボードの設定を点検しはじめた。
「あら、これ……ガラム星標準になってる。岩の筋肉……」
「あのガラム星? 『岩の筋肉』とか言われてる連中か、そんなとこがディフォルトの設定になってるんだ。珍しい」
「あいつらならこれぐらいの硬さは必要かも」
「宇宙ヤバイ超広い」

 フェスティバは、まだ指を痛そうにしているリノの翼の先を軽くさすって言葉をかけた。
「リノごめん。痛む?」
「いいよフェスティバ、マニュアル読まないのはお互いサマだもん。それにおかげでこのキーボードの使い方を一つ見つけたんだから」
 リノは、思惑ありげに、にこっと笑って見せた。
「何なの? リノ?」
「ん、今はないしょよ。そのうち」
 気の早いリノの『そのうち』は、どうせ今日の夜か明日になる。マイカとフェスティバは、同時にふふっと笑った。

 翌朝、起きてきたフェスティバは、自分のコントロールデスクの上で、リノが楽しそうにポンポン跳ねているのを発見した。
 羽ばたいてもいないのに、身体をひねったり、宙返りしたり。
「どうしたの? リノ?」
「トランポリン」
 ぱたっと一回羽を打って、リノはデスクの上にさっと降り立った。
「キーボード利用の遊び。つまりね、キーの大きさを1000%にして、硬さを上手く弾むように調節すんの」
 なるほど、と思いながら、フェスティバがキーボードを見ると、リノが飛び跳ねていたキーに、バカでかく、『Q』と書いてあった。
 コントロールデスク一面に延々と「QQQQQQQQQQQQ………………」

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