魔法と宗教、世界観
魔法使いと僧について
 この世界での魔法と宗教は昔から不可分。魔法が発達してるところでは、どの宗教を見ても、僧は魔法使いが占めている。タリアの宗教は、大陸伝来のノミネス教(のパスタミネス教)と、土着信仰がごっちゃになったパスタミネス教の一派なんだけど、ノミネス教も土着信仰も魔法使いが主体だった。理由を考えてみるね。
(1)
 魔法空間(コモン)の強いところでは、妖魔(魔法空間に住む動物みたいなの)の被害が多く、同時に魔法使いの育ち易い環境だった。そのため魔法使いが対妖魔の先頭に立ち、ありがたがられたり、リーダーシップを取る環境が自然と発生した。
(2)
 魔法使いは魔法感覚を持って、ヒトの生死や魂というものを見ることができた。そして、どの魔法使いも同じものを見、いろんな宗教で似たような世界観が作られていった。また、魔法使いは「悟り」(後述)に至ることが多く、悟りという現象を唯一無比のものとして他者に説こうとした。
 おおよそ(1)(2)という過程で、魔法使いたちが僧の役目をするようになったんだと思う。僧でない魔法使いがほとんどになった今でも、妖魔対策と結界については僧の仕事、その他は魔法使い集団の仕事って分業が良く見られるね。無論、一般のヒトに教えを説くのは僧の役目だけど、高位の魔法使いが説教を垂れることもあるし、寺社もそれを歓迎したりして、境界はずいぶんとあいまいになってきた、と思う。
魂と肉体、転生について
 ところで、「魂」と「肉体」って用語がある。これはそのヒトの通常空間部分が「肉体」であって、魔法空間部分が「魂」なの。肉体は死滅するけど、魂は普通死滅したりはしない。肉体は時間とともに劣化するのは不可避であって、生きていられる最大の時間はほぼ決まっていて「寿命」と呼ばれる。イリディアの肉体は半分魂のようなものなんで、「寿命」は存在しない(と今のとこそう説明されている)。
 通常の五感は肉体に存在し、魔法感覚は魂に存在する(図5)。

 さて、魔法使いによれば、死はどのように見えるのか? 死はまず肉体の死であって、通常の五感が完全に途絶えてしまう。魂はしばらくコモン魔法空間(魔法空間については前述)にとどまり、魔法感覚は残っているのだけど、速やかに(2〜3刻(30〜45分)くらい)ハイコモンへ移り、その後魔法空間のどこかへと去ってしまう。一般には、魔法空間のどこかに死者の極楽があって、そこで魂は身を休めていると言われるけど、誰も確かめたヒトはいないし、まあ魔法使いの直感としては、似てるけど微妙に違うんだろうなって気がする。
 で、魂は生前の記憶の大部分を失い、再び帰ってくる。生まれてくる者の魂となることもあるし、場合によっては別の形態としてイリディア(妖精族)となる。新たに生まれてくる者に対し、ある魂を雛型に新たな魂が作られることもある。ともかく魂は新たな肉体と結びつき、転生する。
 と、いうわけで魂はずっと前からの経験をおぼろに持っている。前世が成功した商人なら今生でも商才を発揮するし、前世が没落した商人だったら商売嫌いの芸術家とかになったりもする。
悟りについて
 そういうわけで、魂は経験を積み重ね、成長していく。魂は現世で肉体と結びついているとき、非常に成長する。
 成熟した魂を持つ者はどの分野(剣でも魔法でも商売やゲームとかでも)にしろ道を究めようとするだろうし、道を究めて行けば、成熟した魂は、あるとき「悟り」を得る。
 悟りとは、自分が転生を繰り返してきていることに気づくことであり、前世やあるいはそれよりさらに前(前々生とか前々々生とか)の強烈な体験や、積み重ねた経験を鮮明に思い出すことである。
 職人や魔法使いなどは、その分野に十分熟達しているにも関わらず、さらにぐんと技量が上がることが多い。
 重要なのは、悟りを得たものは、転生への確信と意味を知ることになるので、通常空間における肉体の死を恐れる必要がなくなるの。
 そういうこともあって、悟りは現世における最終到達点とも考えられている。(ほんとは、その先も、さらに先もあるんだろうな〜)。
タリアの宗教について
 宗教は古くからある土着信仰、と魔法使い的なパスタミネス教の融合で、いろいろとごっちゃになっている。
 たとえば「極楽」と「地獄」ってのが昔から信じられてて、生きてるうちに善行を積めば死んでも安穏とした極楽世界に行くことができて、悪行を重ねれば凄惨な地獄に落ちると言われてる。これがパスタミネス教の影響で、死んだときに魔法感覚が良いものになっていれば魔法空間はさながら極楽のように映り、魔法感覚が悪いものであれば魔法空間が地獄のように映る、と説明されている。
 でも人々は、今でも昔ながらの極楽と地獄を信仰しているし、僧にしても魔法感覚を良いものにして極楽を感じるためには「善行を積め」と説く。
 タリアでは、この「善行」が5ヶ条で説かれている。ひとつひとつ説明するね。
1)「学べ」
 何でもいいから、学ぶこと、究めること。魂が経験を積んで成長するために。別の言葉では「何でも、好きなことをしなさい」ってのもある。
2)「人生は丸」
 ヒトはいろんな経験を積んで、遍路をたどり、また最初の場所へ帰ってくる。その遍路が作る丸の大きさが、ヒトの器を決める。最初へ帰ってきたら、再び別の遍路をたどることになるだろう。
3)「先祖を大切に」
 先祖は自分のルーツであり、魔法空間的にも深い関わりがある。先祖がかつての自分だったということもあるのだ。
4)「他人、自分を傷つけるな」
 傷つけるということは、魔法感覚を悪いものにする。
5)「普通であることがいちばん大変である」
 普通に生きることを軽視してはいけない。どんなに専門的なことに没頭しても、日常をおろそかにしていいことにはならない。
 ウラノンからタリアまでは、この5ヶ条が広く知られている。ウラノンより東、イナムとかでは「愛とまごころと信じる心」っていう3ヶ条があったりする。あ〜、せっかくだから書いておくね。あたしの信条でもあるんだし。
1)愛
 全てのものは正しい。否定されるものなどなにもない。
2)まごころ
 全てのものを愛せよ。たくさんの違いを尊重せよ。
3)信じる心
 そして自分も愛せ。自分のことは自分で評価せよ。
神というもの
 タリアにも神話があって、混沌から最初の神々が生まれ、龍退治したらその血が二つの河になり、とかなんとか、そんなのがあったと思う。神話は200年前のタリア創設までが語られてるみたいだけど、後半はどっちかというと歴史だし。
 でも、神々はあちこちで祀られているし、魔法使いたちも僧も神々を大切に信仰している。それは「先祖を大切に」ってことでもあるのだから。
 いちばん大切な神は、いちばん最初の神でもあって「ゼア」って名前。ありとあらゆるものの「存在」を象徴する神さまなの。すべてのものはゼアの一部だし、あなたもゼア、あたしもゼア。ゼアがいるからみんな存在してるんだって、なんかそれぐらい凄い神さまなのね。ゼアは全ての形になれるし、だから擬人化されるときもいろんな形態がある。はっきりいって全てのものが「ゼア」なんだから、それがどんな形をしてるかってことは全然意味のないことなの。
 他の神さまは、四季の神とか、風神雷神とか、いろいろ〜。歴史上の人物も神格化されることあるし。